Artist in Residence Programアーティスト・イン・レジデンスプログラム

1994年から実施しているレジデンスプログラムは、現代アートの分野で活動するアーティストに、作品の 構想力や創造性を養う機会を提供しています。東京から約 1 時間という場所に位置するアーカススタジオでは、 日本の現代アートシーンに触れることができるとともに、落ち着いた環境で一般市民とも交流しながら創作活動 に専念することができます。また、定期的なキュレーターとのチュートリアルとコーディネーターによるサポートをとおして、アーティストは、自らの制作における方法論を探求し、新たな表現に挑戦することができます。
本プログラムは、リサーチに重きを置いた実践を重視しており、制作過程で生み出される試作をオープンスタジオで公開します。人や土地、文化との出会いを糧にし、国際的な批評空間へと開かれていくようなプロジェクトや作品のアイデアを歓迎します。

滞在期間:
約90日間
助成内容:
スタジオ、住居、渡航費、滞在費、制作活動費、専門的・人的サポートなど。
2023年度:滞在費と制作活動費として567,000円を支給。(※助成金額が変更になる場合があります。)
公募期間:
1月-3月頃(予定)
詳細:
これまでのレジデントアーティスト

2024 レジデント・アーティスト

  1. エヴァ・ザイラー
  2. ハイフンー
  3. 丹治りえ

今年の応募件数は昨年より 190件増加し、 512件(62か国・地域)の海外在住者からの応募と、22件の国内在住者からの応募がありました。厳選なる審査の結果、エヴァ・ザイラー、ハイフンー、丹治りえを選出しました。3名のアーティストは、8月30日から11月27日までの90日間、茨城県守谷市のアーカススタジオで滞在制作を行います。

審査は後藤桜子氏(水戸芸術館現代美術センター 学芸員)と尹志慧氏(国立新美術館 特定研究員)をお招きし、アーカスプロジェクト実行委員会との協議のもと行いました。

2024年度の選考結果について

2024年度は、海外在住のアーティストを2組、国内在住のアーティストを1組選出した。海外からの応募は、前年度をはるかに超える512件、また国内からは22件であった。
 申請書を概観すると、特に欧米からのものは、文化人類学的視点や議論に触発されたものが比較的多く見られた。選考の過程では、外来種の植物をとおして日本とヨーロッパの関係を問うもの、またアニメーションや貿易によって構築される動物や植物、風景に対する人間の認識を扱ったもの、さらには労働や地震をキーワードに文化を比較するものなど、世界に広がった近代社会を歴史の厚みとともに照らし出そうとする志の高い試みに目を引かれた。そのため審査は難航したが、最終的に、海外からは、変態する虫に近代社会の変容の可能性を見出そうとするアーティストと、自国の著名な芸術家と日本との関係から自国の歴史を紐解こうとするコレクティブを選出した。そして国内からは、茨城県内の公園が軍事練習場であったことを起点に制作に取り組むアーティストを選出した。3組のアーティストは、8月下旬から11月下旬にかけて90日の滞在制作を行う。
小澤 慶介(ディレクター)

2024 Resident Artist

エヴァ・ザイラーEva Seiler

1979年ドイツ生まれ、オーストリア、ウィーン在住。有機的な素材と工業製品によって作られるオブジェによって、人間と動物の関係を問う作品を制作している。作品は、実際に人間や動物に使用されながら、社会文化的に構築された両者の関係を再文脈化する。文献をあたり、現地での調査を踏まえて制作される作品は、理論や学説をなぞる資料的なものではなく、人間とそれを取り巻くアクターの有機的で動的な関係を表象するものとして提示される。彫刻を学んだことで得られた確かな造形力と空間に対する理解力、そこにリサーチによる人間をめぐる新たな関係の探究心が加わることで、ザイラーの創作活動は近代以後の可能性を照らし出す。過去の主な展示・活動に「Tuesdays@Secession」Johanna Tinzlとのコラボレーション(Secession、オーストリア、ウィーン、2022)、BMKOESスカラーシップ(2022)、Wien Museumへの作品所蔵などがある。
https://www.evaseiler.com

《Yvonne》
インスタレーション、2020
写真: Georg Petermichl

《Together the Parts (Seat Object) 》
インスタレーション、 2022
写真:Markus Gradwohl

《The Keeper of the Seeds》
銅、ゴム、鉄、木材、種子、2021
写真:Viktoria Bayer

活動の様子

リサーチ資料

大日本蚕糸会蚕糸科学技術研究所への訪問

大日本蚕糸会蚕糸科学技術研究所への訪問

結城紬の工房への訪問

オープンスタジオ

《東置繭所》

アーティスト・ステイトメント

《東置繭所》(ひがしおきまゆじょ)

私のプロジェクトは、桑の木、蚕、女性の紡ぎ手、絹の生産に使われる道具たちが象徴的に絡まり合うなかを進んでいく。アーカス滞在中は、伝統的な施設と現代的な施設、両方の絹生産の工房を訪れ、養蚕業に従事する人間と蚕に出会った。絹生産の工程が産業化されるなかで、両者の体がそれぞれの特性をどのように活かして絹作りに関わっているのかを探っていった。

蚕の形態は品種改良により改造され、人間の身体は機械や湿度の高い環境(糸取り職人の肺を害する要因ともなる)、長時間労働によって影響を受けた。すべては生産性を追求したためだ。製糸場で働く若い女性と蚕は、ともに日本の産業化の(無脊椎ではあるが)屋台骨を形成したのである。

出来上がるシルク製品の染みひとつない優美さと、蒸し暑く油まみれの生産環境のあいだに存在するコントラストには、心惹かれるものがある。

私にとって重要な点は、つやめくタンパク質の生糸から作られた衣服を身につけることで、私たちが蚕の変身能力をどのように活用し、自分たちの外見をも変えていけるか、ということだ。これは、私たちが蚕の変身能力から何を学ぶのかという問いでもある。それは既成のルールを壊し、変容させる能力であり、「私たちを取り巻く世界との関わり方に影響を与える、新たな形や姿をほどいていく」*。これらの印象や出会いはすべて、私の芸術的アプローチに深い影響を及ぼした。そしてシルクの生産に使われる素材や道具を集め、本来の用途とは異なる方法で創作に取り入れた。

* Atkinson, Elizabeth Eleanor Jacqueline. (2019. March 1). Unravelling the secretions of the silkworm. JAWS: Journal of Arts Writing by Students, Volume 5, Issue 1. https://intellectdiscover.com/content/journals/10.1386/jaws.5.1.93_11

選考理由

浮世絵や漆器、金工細工などに虫が描かれている日本の伝統文化に着想を得て、蚕と人間の関係から近代社会を映し出す作品を作る。蛾の幼虫である蚕は人間がいなければ生きられず、人間は蚕によってシルクを得ることができる。この相互依存を紐解き、使役と労働、介助と搾取という関係からその読み直しを図る。さらに蚕が自らの姿を変える力にも着目し、そこに人間と昆虫の関係の硬直化を打破する可能性を見て、双方が主体として関わり合う領域から未来がどのように形作られるかを想像する。アーカスプロジェクトの滞在では、茨城県内の結城紬や群馬県の富岡製糸場、また養蚕農家を訪れシルク生産の現場を調査するだけでなく、蚕の生態も観察する。同時に、養蚕で使用される設備や建築なども調べる。抽象的な学説や議論から実際に起こっている具体的な出来事を結び、人間と虫が助け合いながら生きている領域をさぐることで未来を描こうとする意志、そしてそれを表象する造形力を評価し、ザイラーを選出した。

オープンスタジオに寄せて

エヴァ・ザイラーは、今回の滞在制作において、近代化とは人間にとってまた人間以外の生き物にとってどのような時代の枠組みであるのかを、養蚕をとおして探った。彼女をそれに導いた要因は2つある。1つは、ザイラー自身がこれまでに彫刻的な作品をとおして人間と動物の関係を扱ってきたことだ。またもう1つは、昨年、彼女が来日した折に東京で虫をテーマにした展覧会を鑑賞し、日本の文化がいかに昆虫と近接しているかを知ったことだ。そして、人間と虫が形づくる生活文化により興味を持った。

滞在制作が始まると、彼女は富岡製糸場や都内で蚕を育てている場を訪れ、また茨城県内の結城紬の生産体験などから、女性の労働者と蚕がどのような機械や環境でともに働き近代化を支えていたのかを調べはじめた。そして、3つの角度からそれを表すことになった。1つは、糸を紡ぐ機械の部品の形状にヒントを得て、(わらび)のようなガラス製のオブジェを配置した。2つ目は、蚕が食べる桑の木と同種の(こうぞ)の木から繊維をとって着物にし、そこに蚕が体内で糸を作る器官を図柄として縫い込んでいる。また、それを織り機を模した構造体に展示していることは見逃すことはできない。最後に、近代を支える科学を連想させるラボ的なインスタレーションで、蚕が繭を作る労働について言及している。制作をとおして、ザイラーはいつしか、女性たちが工場で労働することと、蚕が人間のために仕事をすることを重ね合わせて捉えるようになっていた。その関係から生まれた作品は、労働に囚われたいずれもの存在がそれらを生み出した近代の外を夢見ていたような感覚を呼び起こすだろう。

2024 Resident Artist

ハイフンーHyphen―

2011年に設立したインドネシアのジョグジャカルタで活動する7人のリサーチグループ。リサーチに重点をおくその表現は、出版物、展覧会、アーカイブ、またオープンエンドな対話、カラオケ、バーベキュー、宴会など、さまざまな形で発表される。特定の人物を選び、その人物が果たした功績からインドネシアの歴史やアイデンティティを紐解くことで、国家なるものの複雑な姿を捉えようと試みる。これまで手がけた作品に、著名な彫刻家であるエディ・スナルソ監修のもと、インドネシアの国家の歴史を見直すべく作られたジオラマをめぐる映像作品《Visualization of the national history From, by, and for whom》がある。そこでは、植民地時代の影響や、島々からできているという地理的条件、国家による暴力と報復、また複数ある言語のため、インドネシアという国家が抱える統一したアイデンティティの構築における矛盾が描かれている。過去の主な展示・活動に第58回カーネギー・インターナショナルにて「As if there is no sun」のキュレーション(ピッツバーグ、米国、2022-2023)、Jakarta International Literature Festival(Danarto dkkとして。Taman Ismail Marzuki、インドネシア、2022)、「Danarto dkk」(Buzdokuzマガジンのプロジェクトへの参加、第17回イスタンブール・ビエンナーレ、2022)などがある。
https://hyphen.web.id

《Taman Bacaan Danarto at Jendela Institute (Yogyakarta)》
プロジェクト、2022

《Taman Bacaan Danarto at Jendela Institute at 17th Istanbul Biennial in Barin Han (Istanbul) 》
プロジェクト、2022

《Loka-loka: Habis tak sudah (Over yet undone) 》
ワークショップ、2022

活動の様子

1970年の大阪万博のスタッフだった中川勝弘との面会

京都大学東南アジア地域研究研究所への訪問

JAALA(日本・アジア・アフリカ・ラテンアメリカ美術家会議)の
メンバーとのランチ会

オープンスタジオ

《Taman Bacaan Danarto[ダナルトの読書の庭]ハイフンー、ダナルトとその仲間たち》

アーティスト・ステイトメント

《Taman Bacaan Danarto[ダナルトの読書の庭]ハイフンー、ダナルトとその仲間たち》

アーカスが元小学校だった建物のなかにあると知り、オープン・ライブラリーという形で「Taman Bacaan Danarto」(ダナルトの読書の庭)を作ることにした。図書館は多くの人にとって、授業をサボったり、本棚に隠れてガムを噛んだり、ひそひそ話をしたり――でも結局大声で笑ってしまったり――した記憶を呼び起こす。私たちの読書公園もそんな場所にしたいと思った。来館する人々を鑑賞者と見なすのではなく、図書館に来た人として迎える。そうすることにより、人々は本を読むために、知識を深めるために、つまり自分自身を深めるためにやってきた能動的主体となり、図書館という場を成立させる一構成員となる。友人たちにも声をかけ、このレジデンスの間だけでなく、その後に起こり得ることも含めて、リサーチに加わってくれるようお願いした。現在のところ、デイビッド・テ、熊倉晴子、中村裕太、大坂紘一郎が参加してくれている。

ダナルト(1941-2018年)が生前持っていた日本との関わりを出発点に、私たちは読書公園を共に育ててくれる人々や団体との出会いを重ねてきた。例えば1970年の大阪万博で働き、インドネシア館(ダナルトが舞台美術を担当した)の人々と長きにわたる友情を築いた中川勝弘さん。また、ダナルトが1990年から91年のあいだ滞在した京都大学東南アジア地域研究研究所や、JAALA(日本・アジア・アフリカ・ラテンアメリカ美術家会議)の研究者たちとも交流した。彼らとは、ダナルトが1968年から2009年にかけて発表した短編小説のなかから、パレスチナを題材にした作品を集めて作った私たちの出版物について話した。アーカスでの「Taman Bacaan Danarto」は、現在進行中のリサーチを共有するための場であるだけでなく、日本のアートコミュニティのなかで、同志や連帯できる人々を見つけるための拠点ともなるのだ。

選考理由

アーカスプロジェクトでの滞在制作では、インドネシアの芸術家で劇作家のダナルト(1941-2018)に光を当てる。1970年に開かれた日本万国博覧会のインドネシア館のためにダナルトが手がけた舞台美術についてのリサーチを出発点としながら、日本と関係する2つの作品を辿る。1つは、1990年から1991年にかけて京都で執筆した、彼の唯一の小説『Asmaraoka』で、もう1つは、2004年に富山県で開かれたアジア太平洋こども演劇祭で最優秀作品賞を受賞した脚本『Bumi di Tangan Anak-Anak (Earth in the Hands of Children)』である。インドネシアの歴史をダナルトの日本での経験から紐解き再び結び直す仕事は、オープンスタジオにおいて他の芸術家やコレクティブへと開かれ、さらに展開する予定だ。こうした、完成を目的とせず、トランスナショナルな観点から国家を再考するプロジェクトを評価し、ハイフン―を選出した。

オープンスタジオに寄せて

2011年に結成された7人組のリサーチグループで、ジョグジャカルタで活動している。インドネシアの文化を担った人物について調べ、資料をアーカイブ化することで、インドネシアが他の政治・文化との関係でどのような道を歩んできたのかを再考する。

アーカスプロジェクトでの滞在制作では、文筆家で劇作家のダナルトのアーカイブ作りに向き合った。彼の日本との関わりは三度ある。まず、1970年の日本万国博覧会インドネシア館に参加したことだ。そして、1990年から翌年にかけて国際交流基金のフェローシップで来日し、京都大学東南アジア地域研究研究所のレジデンスプログラムに参加したこと。さらに、2004年には富山県のアジア太平洋こども演劇祭で上演された作品の脚本を書いたこと。彼の足取りを追いながらのアーカイブ制作は、たどり着けない部分を知る作業でもあった。それでもハイフンーは、細く切れやすい糸を手繰り寄せるように、ダナルトが出会ったかもしれない人物や彼が参加した国際交流プログラムに携わった関係者を探り当てて話を聞いた。スタジオには、ダナルトの活動年表が黒板に描かれ、日本万国博覧会でのインドネシア館の写真が掲示されているほか、著作や活動資料を集めた進行形のライブラリーが作られている。アーカイブは、場所を変え、構成を変え、関わる人々とのコミュニケーションによって変わり、生きつづける。国家が刻む大きな歴史の手前にある、小さな物語から歴史を想像する方法論をぜひ経験してほしい。
(ディレクター 小澤慶介)

助成 : The Ministry of Education, Culture, Research and Technology Republic of Indonesia

the Ministry of Education, Culture, Research and Technology Republic of Indonesi
2024 Resident Artist

丹治りえTanji Rie

1983年福島県生まれ、沖縄県在住。生まれ育った福島県と現在生活をしている沖縄県が社会的な構造によって似たような境遇を経験していることに着目し、仮設的な構造物を制作して人間とモノ、また人間と環境の関係をさぐっている。福島県や沖縄県には、市民の意志よりも国家の政治的な判断によってその進むべき道が決定されたという過去がある。権力が振るわれると、有用だったものが無用になるなど急な価値の転換が起こることがある。丹治はそうした社会的な力学によって生まれる構造とともにその影で見過ごされてしまう個人的な出来事に関心を寄せ、モノや場に対する人間の感覚を揺さぶる作品を制作する。《みおぼえのある風景》(2023年)では、被災して取り壊された実家の屋内を、残された写真を頼りに似たようなモノを配置することで再現し、写真に撮ることで作品化した。それは消えてしまった実家をどれほど想起させるだろうか。我が国の地域社会を地政学的に表し、鑑賞者の認識を問う。過去の主な展示・活動に「REDRAW TRAGEDY」(Künstlerforum Bonn、ドイツ、ボン、2022)、ホテル アンテルーム 那覇のコミッションワーク(2020)などがある。
https://rie-tanji.com

《みおぼえのある風景》
インスタレーション、2023

《仮説|部分》
インスタレーション、2022

《TOHOKU Landscape》
インスタレーション、2022

活動の様子

阿字ヶ浦(水戸射爆場の近隣地域)での聞き取り

国営ひたち海浜公園でのリサーチ

さつまいも農家への訪問

オープンスタジオ

《遠さはと おく そばにある》

アーティスト・ステイトメント

《遠さはと おく そばにある》

茨城県の国営ひたち海浜公園の周辺は、かつて米軍に接収され戦闘機の射爆演習場として利用されていたが、十数年にわたる返還運動などの結果、1973年に返還された。私にとってこの歴史は、沖縄で一向に進まない米軍基地返還について希望のように思えた。

しかし、公園に隣接する阿字ヶ浦地区の方への聞き取りや文献を調べる過程で、返還には日米間の政治的な思惑、公園の北に位置する東海村の原子力研究所へ及ぼす危険性など、複合的な要因が絡んでいることがわかった。また、公園周辺にはその当時をうかがえるものは残っておらず、米軍機による親子殺傷事件があった芋畑と、射爆演習場の敷地を囲む道路の区画だけがかろうじてその面影を偲ばせているだけだった。一旦区切りがつけられた歴史を見せられたようで、それは、現在も基地があり続ける沖縄との物理的、心理的距離を改めて感じさせた。

この状況を受け止めようと、沖縄の普天間飛行場近くに住んでいるH氏の自宅を、写真を参考にスタジオに再現することにした。茨城県内のリサイクルショップやフリーマーケットを回り、似たようなモノを収集する。見知らぬ土地の行く先々で視界に入る関東平野の至大な空は、沖縄の空を彷彿とさせる。その下で集めた、誰のモノだったかもわからない出所不明のオブジェクトで仮構された日常は、異なる地域のリアリティの断片とつながる。変わらない日常の風景を手がかりに、そうした「遠さ」とともにわたしたちの「今」を知る試みである。

選考理由

茨城県にある国営ひたち海浜公園が、元は、戦後米軍に接収された軍事訓練のための基地であったことを起点に、茨城と沖縄の地を重ね合わせて、沖縄の未来像をさぐるプロジェクトを行う。国営ひたち海浜公園は、1973年に日本へ返還されたあと、市民による運動によって平和を象徴する花の公園として整備され2007年に一般公開された。一方、沖縄では普天間基地の移設問題が滞っていてなかなか未来を思い描くことが難しい。丹治は、茨城と沖縄が重なり合う部分を、現存するある場所のイメージをモチーフにさぐりはじめる。いくつかの過程を踏んで仮構されるイメージは、米軍基地があった過去、それが消え去った今、そしてそれが消え去るであろう未来を映し出すものになるに違いない。茨城の地と沖縄の地を調べることで、我が国の政治的な思惑とその対極にある市民の思いを同時に明かす試みを期待して、丹治を選出した。

オープンスタジオに寄せて

丹治は、終戦の1946年から1973年まで米軍によって接収され軍事演習に使われていた水戸射爆場を調査し、彼女が現在暮らしている沖縄の現在と未来を問う作品制作に取り組んだ。水戸射爆場は、今では季節によってネモフィラやコキアなどが乱れる国営ひたち海浜公園になっている。そこに刻まれた歴史に着目し、彼女は当時を知る人々を訪ね聞き取りをした。そして、そのあたり一帯に響き渡っていた爆撃の轟音や、米兵による近隣住人を巻き込んだ事件について知ることとなった。さらに、基地反対運動が起こったが、最終的には日米間の政治的な取引によってその土地は日本に返還されることも。

福島市で生まれ育ち、東京と沖縄で芸術の学びを修めた丹治は、近年では、福島や沖縄で暮らしてきた人々の記憶を表すことに意識が向いている。今回の調査で、彼女は、軍事基地や原子力発電所などが、大都市から見て同心円を描くように全国各地に配置されていることに気づいた。そして、そうした同心円上の場所の間を「遠さ」という言葉で表す。その「遠さ」を埋めるため、スタジオには「芋」に関連した素材が来場者の感覚に訴えかける。それは、福島でも沖縄でも茨城でも育てられ、戦後を生きた人々の記憶や生活の一部となっている食べ物だ。沖縄の米軍基地を臨む部屋を再現した仮構の立体物には、茨城県内のリサイクルショップなどで手に入れたりした服や小物がかかっている。国営ひたち海浜公園の記憶と沖縄の今とこれから、そして大都市の思惑、それらの見えない関係が伸び縮みしながらうっすらと浮かび上がってくるようだ。
(ディレクター 小澤慶介)