今年は330件(65か国・地域)の海外からの応募と、14件の国内からの応募がありました。厳選なる審査の結果、ローラ・クーパー(英国)と進藤冬華(日本)を選出しました。2名のアーティストは、9月7日から12月5日までの90日間、茨城県守谷市のアーカススタジオで滞在制作を行います。
審査は後藤桜子氏(水戸芸術館現代美術センター 学芸員)と崔敬華氏(東京都現代美術館 学芸員)をお招きし、アーカスプロジェクト実行委員会との協議のもと行いました。
2023年度は、海外のアーティストを1名、国内のアーティストを1名選出した。2020年からおよそ3年つづいた新型コロナウイルスをめぐる世界的な状況が収まりつつ時期に公募を行ったため、海外からの応募は前年度を凌ぐ330件を、また国内からは14件を数えた。
申請書を概観すると、気候変動と環境の変化に関心を寄せているものや、出自あるいはリサーチの対象として移民を起点にトランスナショナルな視点で展開するもの、また日本の文化や風景に触発されて自らの表現を更新してゆこうとするものなどが見られた。また地域住民とともに行う創作を提案するものが多く見られたが、ともに創作することが目的化されすぎる傾きがあったように思われる。海外からは、狩猟をとおして動物をめぐる文化の差異を探るアーティストを、国内からは、移民と防災を軸に自らが住む土地と茨城県南の土地の関係を探るアーティストを選出した。2名のアーティストは、9月上旬から12月上旬まで90日間の滞在制作を行う。
小澤 慶介(アーカスプロジェクト ディレクター)
英国
1983年、英国シュルーズベリー生まれ、バーミンガム在住。アーティストで映像作家であるクーパーは、人間の身体的な制限、また他の人間や生き物の不可知性に関心を寄せ、人間と動物の関係を探求したり人間中心的ではない生活実践を試みたりして、知られざる領域と視点へ歩みよりながら制作を行っている。映像は、可変的で詩的、また人が参加することで成立するドキュメンタリーであることが多い。特定の風景や動物、コミュニティと応答しながら制作するため、これまでに農家や狩猟者、鷹匠、不動産開発者、療法士、科学者などとのコラボレーションをしてきた。アーカスプロジェクトでは、イノシシをモチーフに英国と日本の動物をめぐる文化の違いに着目し、狩猟の現場を調査しながら作品制作を行う。過去の主な展示・活動に「The Political Animal」Hermione Spriggs とのパフォーマンス (The Showroom、 ロンドン、 2017)、 LAM 360°(ウランバートル、 モンゴル、2012)、「Autumn Almanac: The Voice and the Lens」 (IKON Gallery、Birmingham、 UK、2012)などがある。
https://lauracooper.co.uk
猟友会に同行し狩猟の現場の撮影
石岡市八郷
解体処理施設での撮影
《山鯨》
インスタレーション
部分
《山鯨》
このプロジェクトは、狩猟という独特の文化と伝統に見られる人間と動物の関係性、そしてその間に存在するケアと管理の相反する力学についての、長期的な調査の一環として行うものである。
私は日本とイギリスにおいてそれぞれ異なるイノシシとの関係性について探ることにした。イノシシは、日本では害獣として管理の対象となっているが、イギリスでは観光資源として写真に収める対象となっている。私は茨城県の八郷で、手の込んだ罠を仕掛けたり狩りをしたりする猟師たちの仕事ぶりを撮影している。ここでは、カメラを捕獲するための装置ではなく、いかに抱擁するような存在へと転化させられるかが問われている。
リサーチの過程で、イノシシが「山鯨」とも呼ばれることを知った。この詩的でまやかしのような言葉は、カモフラージュをする過程に起こる混乱のメカニズムを浮き彫りにし、それまで進めてきたプロジェクトの方向性を変えるに至った。この言葉は江戸時代、肉食禁止令の目を盗んでイノシシを食すときの隠語として生まれたもので、イノシシとクジラの肉が、鍋にすると似ていることにちなんだのだという。
私は八郷の猟師たちが着ているものを参考にしながら、植物の成分で染めた迷彩服を作っている。守谷の住民たちとは、猟を再演し、カメラ越しの竹林のなかに身体が見え隠れする様を撮影している。
イギリス帰国後に完成する予定の16ミリフィルムの映像は、人間の言語と生物の感覚器官の間に交錯する視点のズレや混乱を取り込んだものになる。さまざまな田舎や都市の文脈において、そしてイギリスと日本で大きく異なる生息地としての森において、何が「野生」に分類されるのかを考察するのだ。
学生時代に日本に短期間滞在した経験のあるローラ・クーパーは、英国と日本における人間とイノシシの対照的な関係に着目し、16mmフィルムとパフォーマンスで構成される作品《Wilder》の制作を進める。想定されるインスタレーションでは、複数の種が生息する森を抽象化して表し、農村あるいは都会の空間的な文脈において、何を「野生」とするかの振り幅を探る予定だ。日本では、イノシシ猟の伝統は失われるとともにその数が増え、農村や都市に侵入しては人間の生活に害を及ぼしている。その一方で、英国において、野生のイノシシは17世期に入って一時絶滅したが、最近になって観光の目玉として、特定の景観のために「再野生化」させられている。アーカスプロジェクトは、人間の生活文化の変遷や自然環境の変化、さらに人間の経済活動のための再資源化など、二国間での人間とイノシシの関係を比較しながらその行く末を探る試みを評価した。
英国のバーミンガムを拠点に創作活動を行っているローラ・クーパーは、猪をめぐる日英の文化の差異を探り、映像を中心に作品化を試みる。下調べの段階で、彼女は、猪が英国においては観光資源になっている一方で、日本では害獣扱いされ駆除の対象になっていることを知った。私たちの暮らしにおいても、ニュースなどで猪による被害が報告されていることを知ると、他人事ではない。
本レジデンスプログラムが始まると、クーパーは石岡市の猟友会を訪ねた。そこで、実際の狩猟に同行し、ハンターが身につけている服装や帽子、また猪を生け捕りにして仕留める方法、獲物の解体、また猟の後のハンターたちの語らいに立ち会った。その間、デジタルカメラと16mmフィルムの両方を使って、その過程を撮影した。デジタルカメラは即時的に状況に反応して撮影することができる。一方で16mmフィルムの方は、光量の確認など細かな作業が要求されるが、撮影した土地の時間帯や天気などがより撮影者の身体性とともに映像化される。
そしてまた、クーパーは、ハンターたちが身につけているカモフラージュに着目し、植物から抽出した染料で狩猟着を手づくりした。オープンスタジオでは、擬似的な森が、クーパー自身の狩猟の経験から抽出されたデジタル映像や布、写真などによって構成されている。守谷での滞在後、クーパーはバーミンガムに戻り、今度は英国における猪の文化を取材する。その後に、16mmフィルムで撮影された映像も加えて作品としてまとめる予定だが、両国における猪がどのような歴史文化の厚みを伴って表されるのかに期待を寄せずにはいられない。
(ディレクター 小澤慶介)
日本
写真:小牧寿里
1975年、北海道生まれ、江別市在住。生まれ育った北海道の歴史や文化を紐解きながら、日本とそれに留まらぬ国々の近代化を進めた見えざる力関係を照らし出すような作品を制作している。時に、近代とともに制度として整備された美術館やその展示方式を使い、北海道の生活文化に言及するオブジェを展示している。その根底には、アーカイブや遺物、伝承などの記録をとおして「残すこと」への社会的な欲望とともにそれへの不信という両義性が原動力としてある。一方で、近代社会の中央集権的なあり方をよそに、自治の思想に基づくアナキズムや地域社会の状況へも関心を寄せ、観察や調査を経て行うパフォーマンスやツアーを手がけている。アーカスプロジェクトでの滞在制作では、移民や防災をキーワードに調査を進め、制作を行う。過去の主な展示・活動に「六本木クロッシング2022展:往来オーライ!」(森美術館、東京、2022-2023)、「移住の子」(モエレ沼公園、札幌、2019)、International Studio & Curatorial Program (レジデンスプログラム参加、ISCP、ニューヨーク、2017)などがある。
https://www.shindofuyuka.com
市内で採取した植物でお香をつくる
参加者と鬼怒川沿いを歩く
インスタレーション
部分
部分
《互いを理解する試み》
これまでたびたび北海道の歴史や文化について話すことがあったが、正直そういうことにすでに疲れている。話しても伝えきれず、話が通じた感じがあまりしないからかもしれない。理解されること、さらには互いに理解することとは、どうやってかなうのだろう?こうした疑問から、守谷市や隣接する地域に住む何名かの方に参加してもらい、私との対話を通じ「互いの背景を交換する」ことを始めた。知らない者同士がこれまでの人生を互いに話し、それをただ交換することは少し堅苦しい感じがした一方で、偶然に出会った参加者や関わった地元の組織との交流のなかで地域の話を聞くうちに、この守谷とその周辺の風景は私にとっても親しみを感じる場所になっていった。また、参加者それぞれの趣味やふだんの活動を教えてもらったり、時には一緒に出かけるなどの対話の先の活動をはじめたりすることで、参加者を個性と人生がある個人として、気にかけるようになった。こうしているうち、徐々にそれまで全然関わりのなかった参加者同士のなかに共通点やつながりが私のなかで見え始め、関わり自体が、私を飛び越えてよりダイナミックに動き出すような気がしてきた。私が通っている場所に参加者を誘って行ったり、ある人が気に入っている景色を、他の誰かと見に行ってみたり…。守谷での互いを理解する試みは、こうやって進んでいる。
北海道へと移り住んだ家族のもとで育った彼女自身の経験とそこから紡がれる思考を、守谷へと一時的に移り住むことで相対化する試みを評価した。北海道への入植は、日本の近代化と切り離して考えることができない。そうした外的で政治的な要因によってある土地へと赴かされそこで生活を新たにはじめることは、今もなお世界的な規模かつ違った形でさまざまな土地や地域に影を落としている。進藤は、守谷をはじめとした茨城県南の町を調査し、移り住んできた人々と出会うことで、近代を支えているより大きな力のありかを探ろうとする。アーカスプロジェクトは、滞在をとおして彼女自身の目を再び開くようなよき出会いと交流にめぐりあうこと、また彼女が滞在制作を終えたとき、住み慣れた北海道への視点が更新され、そこからまた新たな表現活動がはじまってゆくことを期待している。
進藤冬華のアーカスプロジェクトでの滞在制作は、他人を知ることの限界と喜びを経験することであり、またそれを表現し切ることの難しさを改めて知ることであった。北海道の地で、本州からの移民の家系に生まれ育った進藤は、人々が暮らす土地をどう選びそこでの生活を受け入れてゆくのかに関心を持っている。そこで今滞在で、彼女は、守谷市とその近隣の地域に住む人々が、どのようにその地に辿り着き人生を歩んできたのかを手さぐりで感じ取っていった。それは、あらかじめ想定したことをなぞるというよりは、偶然の出会いによって知り合った人たちと言葉を重ね、ふらふらと歩を進めるように行われた。進藤は対話者をスタジオに迎え入れ、今度は彼女が対話者の馴染み深い場所を訪れる。そして、進藤はまた別の人を誘ってその地をふたたび歩く。たどたどしかった歩みは、そうしたやりとりを経て空間的また時間的な広がりに解き放たれた。それは、人類学者、ティム・インゴルドが言うように、風景のなかを途切れなく沿って進むことであり、計画によって細切れにされた時間と空間をゆくことではない。個人の記憶をのせたささやかな対話はいつしか予期せぬ第三者にも及んでグルーブを生んでいったが、その過程で交わされた言葉や見た風景を形にしようとすると、途端に進藤の手から抜け落ちてしまう。そうした過ぎ去ったかけがえのない時間と空間をどう再現することができるのか。進藤の営みは、この鬼怒川や小貝川、利根川に囲まれた地に震えながら現れ出ようとして対話者たちの生のおぼろげな輪郭を描き出すための闘いの痕である。
(ディレクター 小澤慶介)